第3章 表現のもつパワー choiyaki
p085.人間の知には、高い柔軟性と適応力、そして自らの限界を超えるために道具や方法を作り出す素晴らしい能力が備わっている。
アーティファクトを生み出す能力。認知のアーティファクトの話。
p092.道具によって何ができるかは、それがどう使われるかによる。
物理的なアーティファクトでも、認知的なアーティファクトにおいても。
p092.認知のパワーは抽象化と表現から生まれる。
知覚・体験・思考したことを抽象化し、それを表現することこそが知の本質、とな。で、表現の部分にアーティファクトを用いることができることが、この後に述べられていく。で、そうやって表現することで、その後の思考や推論を進めることに大いに役立ってくれる。
数式もアーティファクトに他ならない。
p096.表現の弱点も実はここにある。重要な側面を正しく捉えれば、表現は人間の推論能力や思考能力を実質的に増強させることができるが、反対に、間違って捕えたりすると、表現が紛らわしくなり重大な側面をうっかり見落としたり結論を誤ったりすることになる。
p101.内省のアーティファクトは、現実の世界をみしさせ、人工的な表現するものの世界に集中できるようにしてくれる。…こうしたプロセスはパワフルだが、同時に危険でもある。そのパワーは、新たな発見をする能力から生まれる。危険が首をもたげるのは、表現を現実と取り違えてしまったときである。
アーティファクトに表現されたものは、それが重要であるからという理由ではなく、表現方法がわからなかったから、という理由であることがある。表現されていないものの方が重要であることになる。われわれの価値基準も危うい。第1章で確認したように、測ることができるものに価値を置きがちやから。
となると、内省のアーティファクトを使う時には、その表現を利用して思考を進めることに使いながらも、表現されていないものにも重要なことがあるかもしれないという認識を常に持っておくことが大事なる。
表現はとても強力ではあるが、表現されたものだけになってしまうのはよろしくないであろう、ということ。
p104.
15ゲームとチェックタックトーの表現の仕方は、なかなかに劇的な効果を生むことをうまいこと伝えてる。
p106.第一は、表現形式によってタスクの難易度が著しく変化するということである。原理的には表現の選択が問題の本質を変えることはないのだが、変化するのである。第二は、表現の選択の適切さは、問題に適用される知識やシステム、方法に左右されるということである。
15ゲームはコンピューターにとって認識しやすく、人間には困難。逆に、チェックタックトーは人間にとって認識しやすく、コンピューターにとっては難しい。
p114.すべての情報が電子装置の上で利用でき、同じ情報をさまざまな方法ー周淮のニーズにあったさまざまなレイアウトーで表示できるようになるかもしれない。
タスクに応じて表現方法が変換可能であること。そうすれば、過度に内省的になることなく、目的に応じてパッとわかる。タスクを体験的にすることができる。
表現によって過度に内省を要するのは避けたい。何かを伝えるとき、その表現には気をつけるべき。表現の限界を、注意点を踏まえつつ、かつ適した表現を考えて。
第2章で、内省的と体験的について書かれていて、内省は必要やけど無駄に内省が必要なものは体験的に学ぶことができた方がいいと語られる。なので、表現によって内省を必要としなくできるのであれば、体験的に変換するのが良いというのが著者のスタンス。
p123.認知のアーティファクトを適切に選択すれば、答えを得るために必要な計算が簡単になり、内省的なタスクは体験的なものに変換されて支援されるのである。
この視点って、支援教育にも生きそう。というか、支援教育の眼差しそのものが内省的なタスクを体験的に変換することであり、それは障がいのある人に対してだけ有効ではなく、どんな人にとっても有効であるということやろう。
比較検討したり、一定量の計算を行ったりすることは内省的である。そこには内省が必要。やけど、問題を把握したり必要な情報を整理する部分は表現を適切にすることで体験的に、感覚的にザクっと把握することができうる。
p133.自然さの原理ー表現の特性と表現されるものの特性とが適合する場合に、体験的認知が支援される。
p134.知覚の原理ー知覚的空間的表現は自然である。それゆえ非知覚的非空間的は表現より優れるが、それは、表現と表現の対象とのマッピングが自然なー現実の知覚的空間的環境に類似したー場合に限られている。
この章で、表現は大きなパワーを持つことが明らかになった。けど、それだけでいいわけではなさそう。数式とかアラビア数字は、基本それを扱うには内省を要する。自然さの原理から外れる表現と言えるであろうけど、数字は計算を行う上での利点が述べられてるし、やはり過度な内省を抑えてくれるアーティファクト。内省的認知を支援してくれるもの、と考えればいいのかな。
内省を要する表現でも、時間をかけて習得すると、ある程度内省をショートカットできるようになると思われるが、そういう話も出てくるのであろうか。
p137.われわれの知覚システムの能力に適合する表現は、内省を必要とする表現より、シンプルで使いやすい。
線分図とか面積図とかグラフとか、あるいは図を書いたりした方が認知しやすい、ってこと。